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April 2642001

 爪深く立てても女夏みかん

                           藤田津義子

前は「夏蜜柑」だけれど、出回るのが春なので春の季語。我が山口県は萩の名産なり。美味なり。しかし、あの剥きにくさには閉口させられる。掲句はそこを詠んだものだが、力いっぱい爪を立ててはみたけれど、そこからニッチもサッチもいかなくなった。そこで、困惑しながら「女」の非力を感じている。「夏蜜柑」を剥くというささやかな行為から、すっと「女」を意識したところが面白い。「立てても」の「も」に注目せざるをえないが、作者は他の日常的な場面でも、しばしば「女」を感じていることになる。それを一般的と言ってよいのかどうか、私にはわからないが……。ところが逆に大の男でも、卓上のちっぽけな瓶の蓋が開けられなかったりする。それが、女性に頼むと簡単に開く。力ではなくて、慣れから来るコツを心得ているからだ。そんなときに私などは、役立たずという意味での「男」を感じてしまう。掲句の作者も、瓶の蓋であれば苦もなく開けられるだろうし、「女」を意識することもないだろう。当然、句など涌いてはこない。多く人は、マイナス・イメージから自分を発見する。ところで、こんな句も見つけた。「憎しみのごと爪立てて夏柑剥く」(後藤綾子)。そうか、ニッチもサッチもいかなくなったら「憎しみ」を援軍に呼べばいいのか……。こういう思いは、「男」にはなかなか起きないものだ。むしろこの句のほうに、私は「女」を感じさせられた。『今はじめる人のための俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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